このページの先頭



ここから共通メニュー

共通メニュー


ホーム > 大阪 > 話題先取り!エンタメ情報


大阪メニュー

話題先取り!エンタメ情報

伊原剛志「いまも夢見心地」

「硫黄島からの手紙」に出演した伊原剛志は「今も夢見心地」
「硫黄島からの手紙」に出演した伊原剛志は「今も夢見心地」

 クリント・イーストウッド監督(76)が硫黄島の激戦を日米双方から描いた2部作の日本編「硫黄島からの手紙」はアメリカ人が日本人の戦争を描く異色の戦争映画である。栗林中将(渡辺謙)率いる日本軍の奮戦ぶりは伝説にまでなっているが、狂信的な日本軍人像とは異なり、アメリカを良く知り、その強さを知悉(しつ)して、なお祖国防衛のために戦ったバロン西の存在が映画に深みを与えている。オーディションを受けてクリントのもとにはせ参じた伊原剛志(43)に聞いた。

 バカげた戦争を引き起こした責任は国力と世界情勢を見ようとしない軍の無知蒙昧(もうまい)さにあるのはいうまでもないが、硫黄島にはすべてを理解しつつなお、祖国防衛のために命を賭けた理性の男たちがいた。栗林中将(渡辺謙)と伊原が演じたバロン西である。西はロス五輪金メダリスト。米国に友人知己が大勢いて、偉大さも知り尽くしていた。映画スター、ダグラス・フェアバンクスとメリー・ピックフォード夫妻が来日した折りには西の家に立ち寄ったという。そんな国際的なスポーツマンもまた、硫黄島に散った。

 祖国のために“大好きな米国人”と戦った西の姿こそ、バカげた戦争の象徴ではないか。そんな男を、伊原剛志がりりしく演じた。「(西は)お父さんが外交官でソ連の大使館にいた。親に反発して職業軍人になり、騎馬隊に入った。自由奔放な人だった。米国好きな人がどんな思いで戦ったのか? 本当は戦いたくなかったはず。米兵を助けるシーンに彼の考え方が見える。だけど職業と家族を愛した人。その使命感で戦ったんでしょう。私も、ハリウッドで戦っているという気持ちがダブりました」。

 研究に研究を重ねた。伝記などはないが、テレビの特集番組を探し出し、資料を収集した。遺族に会い、西が家族に当てた手紙も見せてもらった。今も携帯の待ち受け画面には西一家の写真がある。それほどなりきった「西像」に、クリントも任せた。

 彼の最期は明らかではない。脚本に数行ある死の場面を“演出”したのは伊原だったという。「自殺したのは目を負傷して部下に迷惑がかかるから。ピストルではなく猟銃で、それも足の指で引き金を引いた。だから彼はずっと脱ぐ事のなかった拍車つきのブーツを脱いだと思う」。伊原の解釈を、クリントは全面的に受け入れたのだった。

 昨年、事務所の先輩、渡辺謙から紹介されて「ノーギャラでも出たい」とオーディションを受けた。西役で合格した時は「運転中だったが、気持ちは屋根から飛び上がっていた」という。スケールとクリントの存在感に圧倒されたが「彼のプロジェクトに参加できたなんて、いまも夢心地」。渡辺謙、真田広之に続いて、日本からまた1人、世界の舞台に飛躍しそうだ。【五】

 ◆ストーリー 戦況が悪化した1944年6月、陸軍中将・栗林忠道(渡辺謙)が本土防衛の最後の砦・硫黄島に赴任。米留学の経験からその実力を知り尽くした彼は伝統的な水際作戦を捨て、地下要塞で敵を迎え撃つ作戦を決める。新しい指揮官に一兵卒の西郷(二宮和也)は希望を抱くが、古参将校たちの反発を招く。だが、栗林の理解者になったのがロサンゼルス五輪(1932年)馬術競技の金メダリスト、バロン西こと西竹一中佐(伊原剛志)だった。45年2月19日、米軍が上陸開始。「5日で終わるだろう」と見ていた米軍だが…。米側から描いた「父親たちの星条旗」(公開中)に続く日本編。




このページの先頭へ