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「竜助が死んでもた」紳助号泣

- 相方の悲しい知らせに、涙ながらに思いを語る島田紳助
漫才コンビ「紳助・竜介」で一世を風靡(び)した元タレント松本竜助さん(まつもと・りゅうすけ、本名稔=みのる)が1日午前5時2分、大阪市内の病院で脳出血のため亡くなった。49歳。50歳を機に再び漫才をする約束をしていた相方の島田紳助(50)は「ネタ合わせ、嫌やったんやろ」と号泣。竜助さんを「戦友」と呼び「アホ、ボケしか言うことない。悔しい」と声を振り絞った。また竜助さんが自叙伝を執筆中だったことも分かった。
50歳になったら再び漫才をする-。そう約束していた誕生日(6日)まであと5日、緊急入院から10日で、竜助さんは力尽きた。半生を振り返る自叙伝を執筆中だったが、それを出版することもできなかった。志半ばで短い一生を終えた相方に代わって、紳助がこの日夕、都内で会見した。
竜助さんは先月22日、勤務先で頭痛を訴え、緊急入院。意識はなく、すぐに開頭手術を受けた。紳助はこの間の容体を「よかって植物状態。ICU(集中治療室)おってもしゃあないから(29日に)一般病棟に、と。死んでいくのを待つだけやった」と説明した。結局、1度も意識が回復することはなく、妻、長男、長女らにみとられて息を引き取ったという。
紳助は、竜助さんが倒れた22日は沖縄にいたが、奥さんからの電話で一報を受け、翌23日に大阪の病院に駆けつけた。「手握ったら、握り返してくれた気がしたんやけど、もう脳死状態やった。今思えば錯覚やった」。大粒の涙を流しながら、その時の様子を話した。「みんなに『もう1回、紳竜の漫才見たい』言われて、竜と50歳なったらやろう言うてた。おれ、あと6時間で50歳やった」。見舞ったのは23日午後6時ごろで、紳助は24日が50歳の誕生日だった。紳助は、同期デビューで親友の明石家さんま(50)にも電話で相談しながら、3回、見舞ったという。訃報の入った1日午後会見し、同日夜のTBS生特番の司会を気丈にも務めた。
紳助と竜助さんは、85年の解散まで8年間コンビで活動。80年代漫才ブームに乗り大活躍した。解散後、紳助はタレントとして成功し、竜助さんはビデオ映画に出演するなどしていたが、98年に事業に失敗し1億2000万円の負債を抱えて自己破産した。竜助さんを「戦友」と呼ぶ紳助は「僕と出会わんかったら売れへんかったから、普通の人生あったんちゃうか。売れてプレッシャーなって、生き急いだんちゃうか。真剣に悩んでる」とやりきれない思いをこぼした。
紳助は「師匠」とも尊敬する上岡龍太郎さんが余力を残して引退し、第2の人生を歩んだことに共感し、親しい人に「オレも時期が来たらテレビを離れる」と漏らしていた。その構想に竜助さんとの漫才復活もあった。「ネタ合わせで怒られんの嫌やから寝てんのかと腹立ってきて…。今はアホ、ボケしか言うことない」。約束を果たさず旅立った竜助さんにみせた怒りが、悲しみの深さを物語った。
[2006年4月2日9時13分 紙面から]
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